一昨年夏にプレミアの強豪リヴァプールからモナコに移籍してから輝きを失い、人々から終わった選手と思われていた南野拓実選手。
しかし今シーズン異次元のパフォーマンスで完全復活した姿を全世界の人々の前で披露し、日本代表にも返り咲いています。
今回はモナ王 南野拓実選手についてお話ししていきます。
南野拓実の幼少期からの経歴~
幼少期~セレッソ大阪時代
南野は1995年1月16日生まれ 大阪府泉佐野市出身
地元でサッカーを続け中学入学時にセレッソ大阪U15に入団、中3時にはU-15日本代表にも選ばれるなど、この頃から期待を寄せられる逸材だったそうです。
卒業後はセレッソ大阪U-18に昇格。高校進学直後の関西プリンスリーグ開幕戦にスタメン出場してハットトリックを達成するなど、上級生すらも圧倒する活躍でチームを優勝に導いた他、同年AFC U-16選手権で大会得点王に輝くなどクラブでも代表でも結果を残します。
よく2011年にはU-17ワールドカップで日本歴代最高タイの成績となるベスト8への進出にも貢献しました。
2012年夏 高校三年生で在学中ながら2種登録選手としてトップチームの一員に。翌年高校卒業後には正式にセレッソ大阪のトップチームに加入するとリーグ開幕戦からスタメンに抜擢。
クラブのリーグ最年少記録を塗り替え、新人ながら様々な記録を更新する大活躍を見せた。
前年には残留争いをしていたチームは4位となる大躍進を見せ、南野自身もJリーグベストヤングプレーヤーにも輝きました。
この活躍と生まれながらの甘いマスクで、世間からの認知度は急上昇。よく2014年夏には代表戦の出場経験はなかったにもかかわらず、ブラジルワールドカップの予備登録メンバーにも選ばれます。
しかし、プレッシャーからか、前年と打って変わってリーグ戦では低調なパフォーマンス。
この年に南野が輝いたのは仙台戦でチームメイトのカカウに「うっさいんじゃぼけ」とはなった瞬間だけでした。
この一件は、ネタとして世間に広まり「喧嘩番長南野」の異名をつけられる所となりました。
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レッドブル・ザルツブルク時代
南野の欧州挑戦スタート地点はオーストリアのレッドブル・ザルツブルク。
Jリーグ 2014シーズン終了後冬の移籍でチームに加入しました。
若い選手を積極的に起用していくグループの方針もあって、伊勢基礎年度から主力として起用されます。シーズン途中の加入ながら18試合3ゴール3アシストの活躍でリーグと国内カップの2冠に貢献しました。
翌年はハリルホジッチ率いる日本代表に招集され、2015年10月のイラン戦で待望の日本代表デビューを果たします。
2016年1月には五輪予選も兼ねたU-23アジアカップにも招集されますが、リーグ戦の再開に間に合わせるために決勝戦を目前に代表から離脱。これはわずか21歳にしてクラブに欠かせない存在になっていたという証拠です。
欧州二年目は39試合13ゴール5アシストの大活躍でチームも三年連続の2冠を達成。夏にはリオ五輪に出場し、全三試合に出場して1ゴールと結果を残しました。
翌16-17シーズンは31試合14ゴール3アシストと二年連続の2けたとくてんでこの年も2冠を達成。チームもリーグ優勝に加えてELでベスト4に進出するなどの躍進を見せました。
しかしこのシーズンは日本代表では2試合でわずか6分しか起用されず、ハリルホジッチ元監督はそもそも南野の視察にすらいっていなかったトの報道もありました。このことから好みのプレースタイルにマッチしていなかったことがうかがえます。
この時期は後にサポーターから「オーストリア幽閉期間」と呼ばれました。
タキ行け行け時代~転落
日本代表定着
ロシアワールドカップ終了後 指揮官が森久保監督に代わると、メンバーの序列は大幅に変化
本田圭佑や香川真司らWカップまで2列目で起用されてきた選手たちが一新されます。このとき南野はトップ下で起用されました。
ここで代表初ゴールをかまし、パナマ、ウルグアイと三試合連続ゴールをあげて一気に主力選手へと上り詰めます
クラブでも18-19シーズンは43試合14ゴール6アシストでまた国内2冠に貢献
そろそろオーストリアから出たいと思っていた南野でしたが、翌シーズン ついに転機が訪れます。
au PAY マーケット南野の覚醒 幽閉時代に幕 欧州王者への移籍
活躍がすさまじかったこともあり、リヴァプールへと移籍
ここで昨年CL優勝の勢いそのままにリーグ優勝。南野は日本人四人目のプレミアリーグチャンピオンとなりました。
翌シーズンでは南野の移籍後初ゴールにクロップ監督は「タキが大好きなんだ」と大絶賛する活躍を見せました。
しかし、サラーらの牙城は崩せず出場機会はほとんどありませんでした。
出場機会を求め、サウサンプトンに期限付き移籍をしますが翌21-22シーズンにはリヴァプールへ復帰
さらに三苫、鎌田らの台頭で代表でも厳しい立場に、、、
代表選考も控えていたことから南野はリヴァプールを去ることを決意。クロップ監督は南野の去就に悲しみました。
最終的にフランス1部リーグ・アンのモナコへの移籍が決定
モナコ移籍後の不振から復活のタキ!!~軌跡~
「引用:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2024/05/24/post_68/」
モナ王時代
移籍後なかなかチームになじめず低調なパフォーマンスが続くが9月のスタッド・ランス戦で移籍後初ゴールを決めましたが、その後一切得点を挙げられない上に、代表でも不振から抜け出すことが出来ずにいました。
ワールドカップ後もクラブでの得点はなく、第二次森久保ジャパンにも招集されませんでした。このことからサポーターの中でも完全に終わった選手扱いをされることになりました。
監督と息が合ったのか、いきなりアシストをかますと、第二節には2ゴール胃アシストと全ゴールに絡む大躍進。
さらに第3節でゴール、第四節でアシストを決めると、昨シーズンの不調が嘘だったかのように主力として夢想します。
リーグから8月の月間MVPを授与されました。このことから「タッキタキの大活躍」、「モナコの大様、略してモナ王」と大絶賛の嵐
その後も活躍を続けた南野は10月にWカップ以来となる約10ヶ月以来ぶりの代表復帰
アジアカップでは2ゴール1アシストと、大活躍を見せます。クラブ復帰後も依然として好調をキープしています。
三月末時点で26試合7ゴール5アシストとすでに昨シーズンを大きく上回る成績です
以上でどん底から這い上がった南野のお話を終わります。
「タキが大好きなんだ!!!!」
この言葉は一生忘れないでしょう。